ボーテ(読み)ぼーて(その他表記)Walther Wilhelm Georg Bothe

精選版 日本国語大辞典 「ボーテ」の意味・読み・例文・類語

ボーテ

  1. ( Walther Wilhelm Georg Bothe ワルター=ウィルヘルム=ゲオルク━ ) ドイツ物理学者。一九二四年ガイガーとともに、計数管同期装置を考案。五四年ノーベル物理学賞受賞。(一八九一‐一九五七

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日本大百科全書(ニッポニカ) 「ボーテ」の意味・わかりやすい解説

ボーテ
ぼーて
Walther Wilhelm Georg Bothe
(1891―1957)

ドイツの物理学者。オラニエンブルクに生まれる。ベルリン大学プランクの指導を受け、1914年学位を得た。1930年ギーセン大学教授、同物理学研究所長となり、1932年ハイデルベルク大学に移り、さらに同地のマックス・プランク研究所物理部部長となった。第二次世界大戦後、ふたたびハイデルベルク大学に戻り、没年までマックス・プランク研究所物理部部長の職にあった。1924年H・W・ガイガーと協力して計数管同期装置を考案、また1923年ごろからX線散乱の研究を進め、反跳電子の確認に到達し、光の粒子論の立場を推進して、光量子論に寄与した(1922~1927)。ついでα(アルファ)線の核衝突の実験を開始して、核の分裂生成物を観測し、1930年にはベリリウム核の転換をみいだし、またその際に放出される強い透過能の放射線を観測した。またハイデルベルクにサイクロトロンを建設したが、第二次世界大戦中はナチスのもとで核分裂研究を担当した(1939~1945)。1954年、「コインシデンス法同時計数法)による原子核反応とγ(ガンマ)線とに関する研究」により、ノーベル物理学賞を受けた。また、「量子力学、とくに波動関数の統計的研究」が認められたM・ボルンも同時に受賞した。

[藤村 淳]

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改訂新版 世界大百科事典 「ボーテ」の意味・わかりやすい解説

ボーテ
Hermann Bote
生没年:?-1520ころ

ドイツの著述家。15世紀50~60年代に北ドイツのブラウンシュワイクで鍛冶屋の親方の子として生まれた。足が悪かったために親の職業を継がず,1488年に徴税書記になった。この年に当時のギルド支配を嘲笑した詩〈猫と犬〉を書き,父親とともにギルドから追放された。1490-92年にブラウンシュワイクの北のパーペンタイヒの下級裁判所の裁判官となり,94-96年にはブラウンシュワイクのアルトシュタットの市参事会地下酒倉の管理人となる。97年に再び徴税書記の職につき,現存する〈徴税原簿〉を作成した。1513年の一揆の際に危うく一命を落とすところを助かり,16-20年には煉瓦製造所の管理人となった。20年ころに死亡したとみられる。15世紀末には《ティル・オイレンシュピーゲルの退屈しのぎの話(ティル・オイレンシュピーゲル)》を書き,1493年ころには《車の書》(消失),1493-1502年に《世界年代記》,1510-13年には《シヒトブーフ(ブラウンシュワイクの五大事件を扱う)》を刊行した。いずれも風刺に満ちた著述である。これまであまり知られていなかった中世後期ドイツの注目すべき著述家といえる。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「ボーテ」の意味・わかりやすい解説

ボーテ
Bothe, Walther

[生]1891.1.8. オラニエンブルク
[没]1957.2.8. ハイデルベルク
ドイツの物理学者。ベルリン大学を卒業。ギーセン大学,ハイデルベルク大学教授,カイザー・ウィルヘルム研究所物理部長 (1934) 。第2次世界大戦中はドイツにおける原子力エネルギーの開発にたずさわり,戦後は再びハイデルベルク大学教授 (46) 。 1925年 H.ガイガーとともに2個のガイガー計数管を用いてコンプトン効果を研究し,光の粒子性を証明するもう1つの有力な証拠を提出した。 29年 W.コルヘルスターとともに2個の粒子が別々のガイガー計数管に同時に計測されるような新しい装置を考案し (→同時計数法 ) ,宇宙線の研究を行い,宇宙線がγ線だけでないことを見出した。 54年 M.ボルンとともにノーベル物理学賞を受賞した。

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百科事典マイペディア 「ボーテ」の意味・わかりやすい解説

ボーテ

ドイツの物理学者。ベルリン大学を出て,ギーセン大学,ハイデルベルク大学等の教授を歴任,1934年ハイデルベルクのカイザー・ウィルヘルム研究所物理学部長。二つの計数管を並べ1個の粒子が両者を貫通して生じる同時放電を比較する方法により,コンプトン効果の反跳電子を確認(1923年),一次宇宙線がγ線でなく高エネルギーの荷電粒子であることを証明(1929年)。1954年ボルンとともにノーベル物理学賞。

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