上吉妻村(読み)かみきつまむら

日本歴史地名大系 「上吉妻村」の解説

上吉妻村
かみきつまむら

[現在地名]庄和町上吉妻

芦橋よしはし村の東、江戸川右岸に立地する。寛永期(一六二四―四四)以降に開かれ、慶安(一六四八―五二)頃に吉妻新田、延宝元年(一六七三)に吉妻村と称したが、天和二年(一六八二)南北に分割され、上吉妻村・下吉妻村というようになったという(郡村誌)元禄郷帳に村名がみえ、高六三四石余。文化元年(一八〇四)の関宿領・庄内領惣新田組村高地頭姓名書上帳控(石川家文書)では旗本稲葉・松野土岐・進・原田五氏の相給で各一二六石余となっている。旗本進氏は当村を含めて一一ヵ村一千石を知行していたが、文政七年(一八二四)これら諸村は連名で用役の吉沢・市川両氏の罷免を要求した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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