日本歴史地名大系 「上塔之段町」の解説 上塔之段町かみとうのだんちよう 京都市:上京区京極学区上塔之段町上京区塔之段通今出川上ル二丁目塔之段通寺町(てらまち)より西三筋目の南北通りを挟む両側町。中古京師内外地図に「相国寺ノ大塔、高三百六十尺、横三百六十尺、南北三百六十尺」とある。大塔は足利義満が父義詮の供養のため、応永六年(一三九九)に建立(相国寺塔供養記)したが、応仁元年(一四六七)に焼失した(宗賢卿記)。位置は「薩戒記」に「仲塔在寺外 入道内府所建立彩色之間也、在富小路ノ東、毘沙門堂南也」とあり、おおよそ当町及び下塔之段町辺りと思われる。町名もこれによるが(坊目誌)、「山州名跡志」は「塔壇」を当町を含む数町の総名とし、現在もこの一帯を俗に「とうのだん」と称する。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報