20世紀日本人名事典 「上山正英」の解説 上山 正英ウエヤマ マサヒデ 大正・昭和期の医学放射線技術教育者 生年明治11(1878)年9月1日 没年昭和15(1940)年12月30日 出生地鳥取県鳥取市 学歴〔年〕京都帝国大学理工科大学電気工科〔明治33年〕退学 経歴明治33年から愛知、群馬、京都、山口などの中学校に勤め、43年京都島津製作所に入った。大正4年クーリッジX線管球の発生理論と構造を日本に紹介。10年会社でレントゲン講習会を年次開催、その講師となり「レントゲン物理学」「X線管球」について講義。各講師の講義を「レントゲン字講義集」に編集した。昭和2年島津レントゲン技術講習所が開設され、講師として放射線物理学を講じた。 出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報 Sponserd by
デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「上山正英」の解説 上山正英 うえやま-まさひで 1878-1940 大正-昭和時代前期の放射線技術者。明治11年9月1日生まれ。43年京都島津製作所にはいる。大正4年クーリッジX線管球の発生理論とその構造を日本にはじめて紹介。レントゲン講習会の講師として全国各地でおしえた。昭和15年12月30日死去。63歳。鳥取県出身。京都帝大中退。編著に「レントゲン学講義集」。 出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例 Sponserd by