日本歴史地名大系 「上平良村」の解説 上平良村かみへらむら 広島県:佐伯郡廿日市町上平良村[現在地名]廿日市町上平良・串戸(くしど)四丁目下平良村の北西、可愛(かわい)川の上流域にある。元禄一三年(一七〇〇)平良村が上下二ヵ村に分村して当村が成立した(→下平良村)。大永八年(一五二八)三月一三日付の友田興藤預ケ状(大願寺文書)に記される「原名」の地は現原(にえばら)のことで、当時、厳島の大願(だいがん)寺造営領とされている。原は二重原・贄原とも記された。また天文二三年(一五五四)一一月一日付の毛利元就同隆元連署預ケ状(厳島野坂文書)にみえる「大原御衣領」の地は現在大原(おおはら)の小字名として残る。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by