日本歴史地名大系 「下平良村」の解説 下平良村しもへらむら 広島県:佐伯郡廿日市町下平良村[現在地名]廿日市町下平良・下平良一―二丁目・新宮(しんぐう)一―二丁目・駅前(えきまえ)・廿日市一―二丁目・須賀(すが)・可愛(かわい)・串戸(くしど)二丁目廿日市の西、可愛川の下流域にあり、東南は瀬戸内海に面する。山陽道筋にあたる可愛の地は、廿日市の町並に続き、町屋の形成がみられた。元禄一三年(一七〇〇)平良村が上下二ヵ村に分村して当村が成立する。平良村は古代の種篦(へら)郷(和名抄)の地にあたり、馬(うま)ヤガ迫(さこ)は種篦駅(延喜式)にかかわる地名とされる。「芸藩通志」は村内の五百太神子(いおたみこ)の古跡および地名登牟古(とんこ)(頓子)は「続日本後紀」の天長一〇年(八三三)一〇月九日条に記される「力田佐伯郡人伊福部五百足、同姓豊公」の故地とする。中世は平良庄の地で、西方の宮内(みやうち)村との境にある越峠尾(こいとうお)には城があった。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by