上方文化(読み)かみがたぶんか

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「上方文化」の意味・わかりやすい解説

上方文化
かみがたぶんか

江戸時代,特に京都大坂を中心とした優雅な文化をいい,江戸を中心とした豪放な,いわゆる江戸文化に対する。これは地域性と時代性を含む分け方でもある。すなわち,江戸時代初期,特に元禄年間 (1688~1704) 頃までは,江戸は幕府がおかれたという意味では政治的中心地であったが,当時の江戸の文化人,芸術家のほとんどは上方からの移住者であったので,文化的には地方的存在であり,伝統文化をもつ上方が文化的中心地であった。しかし享保年間 (16~36) 以降になると,江戸が経済的繁栄と相まって,文化人,芸術家の輩出により文化的にも活気を帯び,その中心となるに従って,上方文化は精彩を失っていった。江戸時代後期は江戸文化の時代といえる。 (→化政文化 )

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