日本歴史地名大系 「上有住城跡」の解説 上有住城跡かみありすじようあと 岩手県:気仙郡住田町上有住村上有住城跡[現在地名]住田町上有住 八日町八日町(ようかまち)の西方の標高約八〇メートルの丘にある。八幡(はちまん)館とも称され、西方に八幡神社がある。山頂の広場が本丸跡で、一〇〇メートルほどの円形の畑地となっており、周囲に四段ほどの土壇がめぐらされている。丘の北西部のなだらかな面は登路と思われ、南西部に空堀の切れた跡がある。西方にある東西二〇〇メートル・南北五〇メートルの畑地は二の丸跡と推定される。「仙台領古城書上」では城主は千葉内膳で、その子孫は仙台藩家中にいるとあり、元禄一一年(一六九八)の「気仙郡古記」には「千葉内膳深谷ニ而討死」と伝えられると記す。また宝暦一一年(一七六一)の「気仙風土草」には上有住駅(かみありすえき)東にある浜田喜六館跡がみえ、喜六は米ヶ崎(よねがさき)城(現陸前高田市)城主浜田安房守広綱の弟で、慶長六年(一六〇一)三月遠野陣で討死したとある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by