上有住村(読み)かみありすむら

日本歴史地名大系 「上有住村」の解説

上有住村
かみありすむら

[現在地名]住田町上有住

下有住村の東にある。気仙郡北端に位置し、気仙川の上流およびその支流坂本さかもと川に沿う。東から南にかけて世田米せたまい村、日頃市ひころいち(現大船渡市)唐丹とうに(現釜石市)などに接し、北は閉伊へい細越ほそごえ(現遠野市)など。山嶺に囲まれ、南西部にわずかに耕地が開ける。初め下有住村と一村であったとされる。元禄一一年(一六九八)の「気仙郡古記」によれば中井なかいにあった常光じようこう寺旧蔵の寛正六年(一四六五)八月一日の紀年銘をもつ鐘銘に「奥州気仙郡有住郷」とみえる。源姓佐々木氏譜(本称寺文書)によれば、文明一七年(一四八五)八月南部勢が気仙郡に侵入、有住郷で葛西勢と合戦に及んだという。天正一六年(一五八八)五月三日の葛西晴信知行宛行状(一関大槻文書)にみえる有住下野守は、上有住城主で葛西氏配下の千葉氏一族とされる。寛永一〇年(一六三三)奥羽を巡った幕府巡見使一行は世田米で一泊、「有住」で昼休みののちさかり(現大船渡市)へ向かった(「石母田安頼書状」伊達家文書)

正保郷帳では上有住宿とみえ、田九貫六九七文・畑七五貫九一七文、ほかに新田一七貫八六二文、檜雑木山がある。宝永二年(一七〇五)人数改によれば人数一千八六六、鉄砲数二一(気仙史料)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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