日本歴史地名大系 「上東鰺坂村」の解説 上東鰺坂村かみひがしあじさかむら 福岡県:小郡市上東鰺坂村[現在地名]小郡市八坂(やさか)光行(みつゆき)村の西にあり、思案橋(しあんばし)川が流れる。南は下東鰺坂村。中世は鰺坂庄のうち。慶長四年(一五九九)三月三日の小早川秀秋充行知行方目録(萩藩閥閲録)では三井(みい)郡「あちさか村」の一千三一〇石余など四千石が日野景幸の領知となっている。同七年の台所入之掟(中川文書)に「くるめ廻、同あち坂村」の物成を高につき六ツに定めるとある。元和二年(一六一六)肥前国曾根(そね)村(現佐賀県三田川町)の走百姓が一時「鰺坂村」にいたという(「田中大膳書状」坊所鍋島家文書)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報