上柳戸村(読み)かみやなどむら

日本歴史地名大系 「上柳戸村」の解説

上柳戸村
かみやなどむら

[現在地名]沼南町柳戸

いずみ村の東、金山かなやま落の中流域北岸に位置し、東は下柳戸村。古くは下柳戸と合せて、柳戸と称していたと思われるが、すでに中世から上・下に分れていた。

〔中世〕

弘安五年(一二八二)一一月一二日、新田岩松時兼の女子とち御前(尼真如)藤心ふじごころ(現柏市)手賀てが郷半分東方とともに「やなとのむらハんふん」を女子藤原土用王御前(尼妙蓮)譲与した(「尼真如譲状写」正木文書)。とち御前の母とよ(土用)御前は、嘉禄三年(一二二七)一二月、父相馬義胤から相馬そうま御厨内の手賀、布施ふぜ(布瀬)、藤心、野木崎のぎさき(現茨城県守谷町)の地頭職を譲与されたのちに岩松時兼に嫁しており(「相馬能胤譲状案」同文書など)、柳戸村半分も相馬氏の旧領であったろう。しかしその後新田岩松氏関連の史料では柳戸村は確認できない。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

「歓喜の歌」の合唱で知られ、聴力をほぼ失ったベートーベンが晩年に完成させた最後の交響曲。第4楽章にある合唱は人生の苦悩と喜び、全人類の兄弟愛をたたえたシラーの詩が基で欧州連合(EU)の歌にも指定され...

ベートーベンの「第九」の用語解説を読む