日本歴史地名大系 「上柳戸村」の解説 上柳戸村かみやなどむら 千葉県:東葛飾郡沼南町上柳戸村[現在地名]沼南町柳戸泉(いずみ)村の東、金山(かなやま)落の中流域北岸に位置し、東は下柳戸村。古くは下柳戸と合せて、柳戸と称していたと思われるが、すでに中世から上・下に分れていた。〔中世〕弘安五年(一二八二)一一月一二日、新田岩松時兼の女子とち御前(尼真如)は藤心(ふじごころ)郷(現柏市)、手賀(てが)郷半分東方とともに「やなとのむらハんふん」を女子藤原土用王御前(尼妙蓮)に譲与した(「尼真如譲状写」正木文書)。とち御前の母とよ(土用)御前は、嘉禄三年(一二二七)一二月、父相馬義胤から相馬(そうま)御厨内の手賀、布施(ふぜ)(布瀬)、藤心、野木崎(のぎさき)(現茨城県守谷町)の地頭職を譲与されたのちに岩松時兼に嫁しており(「相馬能胤譲状案」同文書など)、柳戸村半分も相馬氏の旧領であったろう。しかしその後新田岩松氏関連の史料では柳戸村は確認できない。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by