上棚村(読み)うわだなむら

日本歴史地名大系 「上棚村」の解説

上棚村
うわだなむら

[現在地名]志賀町上棚

二所宮にしよのみや村の南にあり、眉丈びじよう山系から流出する箱屋はこや川・東谷内ひがしやち川が村の中央で合流し日詰ひづめ川となって於古おこ川に注ぐ。耕地は合流部の河谷平地に集中し、谷間集落が散在する。広大な山林を有する。「三州地理志稿」によると、箱屋・上野うわの・東谷内中村の垣内がある。初め加賀藩領。土方雄久知行目録に村名がみえ、慶長一一年(一六〇六)村高のうち六七二俵余が土方領となり、うち五割が百姓取分であった。残る加賀藩領の元和二年(一六一六)の高二〇一石余、役棟六(「苦竹運上極」雄谷文書)。土方領は貞享元年(一六八四)から幕府領、享保七年(一七二二)から加賀藩預地となり、天明六年(一七八六)加賀藩領に組入れられ、以後全村加賀藩領。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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