上池川村(読み)かみいけがわむら

日本歴史地名大系 「上池川村」の解説

上池川村
かみいけがわむら

[現在地名]浜松市城北じようほく一―二丁目・布橋ぬのはし一丁目・鹿谷町しかたにちよう和地山わじやま一丁目

下池川村の西、三方原東縁の谷に位置する。松平忠頼領郷村帳では高六九石余、田六町二反余、うち川成一六石余、ほかにかのう(秋葉叶坊、現三組町の秋葉神社)領三石・宗玄院(現曹洞宗宗源院)領一六石。慶長一五年(一六一〇)の水野重仲知行割帳には上池河村とみえる。国立史料館本元禄郷帳には村名がみえないが、同帳を除く領主変遷向宿むこうじゆく村と同じ。なお正保郷帳には上池川とみえ、「村なし」と注記がある。慶安元年(一六四八)に徳川家光が入野いりの郷内大鱸おおすずき谷の一六石を寄付している(「徳川家光朱印状」宗源院文書)。延宝(一六七三―八一)頃の青山氏領分絵図も一村扱いをせず、本田六一石余・新田八石余の注記を付す。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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