姫街道(読み)ヒメカイドウ

デジタル大辞泉 「姫街道」の意味・読み・例文・類語

ひめ‐かいどう〔‐カイダウ〕【姫街道】

江戸時代東海道脇街道の一。見付宿の先から浜名湖北岸を回り、本坂ほんざか峠を越えて御油宿へ至る道。女性多く今切いまぎれの渡しと新居関あらいのせきを避けてこの街道を通ったことによる名。本坂越え。

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精選版 日本国語大辞典 「姫街道」の意味・読み・例文・類語

ひめ‐かいどう ‥カイダウ【姫街道】

(婦女子往来が特に頻繁であったところからいう) 江戸時代、東海道見付宿の先から分岐して気賀関本坂峠を経て再び東海道御油宿にいたる脇街道、本坂通の通称。幕末期には多く見付宿の次宿である浜松宿から御油・吉田宿に向かったという。婦女子の往来が頻繁だったのは、新居関よりも気賀関の取締まりが寛大であり、また今切の渡しの航海の危険を避けるためとか、新居関が今切関とも呼ばれて、この今切れの語を不吉としたためとかいわれている。単に、本街道の脇道裏道の意で用いられることも多い。
※五駅便覧「新居渡の迂回路にして一名姫街道とも謂ふ」

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改訂新版 世界大百科事典 「姫街道」の意味・わかりやすい解説

姫街道 (ひめかいどう)

東海道の浜松宿から浜名湖北岸を迂回し,気賀,三ヶ日嵩山(すせ)宿を経て東海道の御油宿へ至る道筋。正式には三遠国境の本坂(ほんさか)峠を越えることから本坂道といい,1765年(明和2)に道中奉行管轄となった。姫街道の名称の由来は,女性旅行者が東海道今切渡(いまぎれのわたし),新居関を避けてこの街道を利用したことによるといわれるが,本街道に対する脇往還という程度の意味であろう。中山道や奥州道中の脇道にも類似した名称がある。
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ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「姫街道」の意味・わかりやすい解説

姫街道
ひめかいどう

江戸時代,東海道の脇街道の一つ。本坂 (ほんざか) 通りともいう。東海道浜名湖口の今切渡しは,舞坂-新居間の1里 (約 4km) の渡船であったが,この今切渡しを利用しない場合は,陸路を浜松から気賀の関所を経て,本坂峠 (380m) を越え嵩山 (すせ) から御油 (ごゆ) または吉田 (豊橋) に出て東海道に合流した。この脇街道を婦人が多く利用したのでこの称があるという。脇街道であったが,多くの人々が往来したため,幕府は道中奉行の支配下においた。

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百科事典マイペディア 「姫街道」の意味・わかりやすい解説

姫街道【ひめかいどう】

脇街道

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世界大百科事典(旧版)内の姫街道の言及

【内山峠】より

…下仁田町から佐久市に通じる国道254号線が通る。この道路は近世,中山道の脇往還(信濃別路)として知られ,姫街道とも呼ばれ,佐久米や越後米が上州へ運ばれていた。現在は妙義荒船佐久高原国定公園のほぼ中央にあたり,荒船山,物見山,神津(こうづ)牧場などへのハイキングコースの基点となっている。…

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