日本歴史地名大系 「本坂通」の解説
本坂通
ほんざかとおり
- 静岡県:総論
- 本坂通
浜名湖の北を通る東海道の脇道。江戸期には遠江国本坂村(現三ヶ日町)と三河国
古代においても、この付近を通る道が存在した。承和九年(八四二)承和の変にくみして流罪とされた橘逸勢は、「遠江国板築駅」にて死去したとされるが(「文徳実録」嘉祥三年五月一五日条)。
中世の本坂通も浜名湖北岸を経由して三河国に至る幹線路として利用されたものと思われるが、史料的にその姿を確認することができるのは中世後期になってからである。とくに一六世紀前半には、東海道が明応東海地震と永正(一五〇四―二一)高潮による被害を受けて通行がままならなかったこともあって、旅人の往来に利用されることが多かったようである。大永二年(一五二二)五月、連歌師宗長は駿河国
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報