本坂通
ほんざかとおり
浜名湖の北を通る東海道の脇道。江戸期には遠江国本坂村(現三ヶ日町)と三河国嵩山村(現愛知県豊橋市)の国境にある本坂峠(標高三二六・八メートル)を通ることから公的には本坂通・本坂道・本坂往還などといったが、地元では姫街道とか秋葉道、あるいは豊川稲荷(現愛知県豊川市の妙厳寺)への稲荷道とよんでいた。
古代においても、この付近を通る道が存在した。承和九年(八四二)承和の変にくみして流罪とされた橘逸勢は、「遠江国板築駅」にて死去したとされるが(「文徳実録」嘉祥三年五月一五日条)。板築駅は現三ヶ日町日比沢付近に比定され、当時の東海道は浜名湖北岸ルートをとっていた可能性が高い。本坂峠から現三ヶ日町・細江町経由で浜松・磐田方面に向かう浜名湖北岸ルートは古代においても、東海道を補完するルートとして使用された。なんらかの理由で浜名湖南岸ルートに支障が生じた場合、北岸ルートが代替ルートとして利用されたのであろう。
中世の本坂通も浜名湖北岸を経由して三河国に至る幹線路として利用されたものと思われるが、史料的にその姿を確認することができるのは中世後期になってからである。とくに一六世紀前半には、東海道が明応東海地震と永正(一五〇四―二一)高潮による被害を受けて通行がままならなかったこともあって、旅人の往来に利用されることが多かったようである。大永二年(一五二二)五月、連歌師宗長は駿河国柴屋軒(現静岡市)を出発して越前ほか北国への旅に向かう途中、山崎(現雄踏町)から船で引佐細江を渡って浜名氏の館(佐久城、現三ヶ日町)に立寄り、そこから本坂峠を越えて三河国勝山城(現愛知県豊川市)に至っている(宗長日記)。この時、浜名氏の館から三河へは本坂通を利用したものと思われる。永禄一〇年(一五六七)六月二七日に富士見物の帰路に浜名湖に立寄った里村紹巴は、「本坂越」の道が止まっていたため、気賀(現細江町)から小伊那佐峠に登り、さらに浜名橋の方に船で湖上を南下して、東海道を三河に進んでいる(紹巴富士見道記)。軍勢の移動にあたっても本坂通が利用されていた。戦国大名今川氏が三河へ軍勢を進める際には、東海道と本坂通の二手に分れることが多かったようである(「三河物語」など)。今川氏は本坂居館に拠る後藤氏に本坂通の通行管理を行わせていたらしく、永禄七年一月四日には、今川氏真が後藤真正に「本坂通用」を相違なく命じている(「今川氏真判物写」紀伊国古文書所収藩中古文書)。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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出典 日外アソシエーツ「事典・日本の観光資源」事典・日本の観光資源について 情報
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世界大百科事典(旧版)内の本坂通の言及
【街道】より
…それらの管理は初期には代官また老中なども関与していたが,1659年(万治2)以降は[道中奉行]を置いて専管させた。道中奉行の管理下にあったのは,東海道(品川~京都・大坂),中山道(板橋~守山,次の草津で東海道となる),日光道中(千住~日光),奥州道中(宇都宮~白河),甲州道中(内藤新宿~上諏訪,次の下諏訪で中山道に結ぶ)の五街道のほか,東海道と中山道を結ぶ美濃路(熱田~垂井),東海道の脇街道というべき佐屋路(熱田~桑名),本坂通(浜松~御油または吉田),山崎通(伏見~山陽道の西宮),中山道と日光道中を結ぶ例幣使道(倉賀野~壬生(みぶ)通の楡木へ),日光道中の脇街道というべき日光御成道(岩淵~岩槻を経て日光道中の幸手へ),壬生(みぶ)通(日光道中の小山から分かれ,飯塚,壬生等を経て日光道中の今市へ)がある。また千住から新宿(にいじゆく)・八幡(やわた)・松戸を経る水戸佐倉道はこの3宿だけが道中奉行の管轄であった。…
【東海道】より
…
[古代]
地方行政区画の七道([五畿七道])の一つ。《西宮記》では〈ウヘツミチ〉〈ヒウカシノウミノミチ〉と読んでいる。北は東山道,南西は畿内および南海道の紀伊に接し,南東は太平洋に面している。《日本書紀》崇峻紀にみえる東海道は後の追記とみられるが,672年(天武1)壬申の乱の記事に東海軍とあり,また685年に東海使者として都努牛養派遣の記事がみえるので,その成立を天武朝末年に求めることができよう。《延喜式》によれば伊賀,伊勢,志摩,尾張,三河,遠江,駿河,甲斐,伊豆,相模,武蔵,安房,上総,下総,常陸の15国が所属するが,このうち武蔵は771年(宝亀2)に東山道から編入され,また安房は718年(養老2)に上総より分立したものである。…
【姫街道】より
…東海道の浜松宿から浜名湖北岸を迂回し,気賀,三ヶ日,嵩山(すせ)宿を経て東海道の御油宿へ至る道筋。正式には三遠国境の本坂(ほんさか)峠を越えることから本坂道といい,1765年(明和2)に道中奉行の管轄となった。姫街道の名称の由来は,女性旅行者が東海道[今切渡](いまぎれのわたし),[新居関]を避けてこの街道を利用したことによるといわれるが,本街道に対する脇往還という程度の意味であろう。中山道や奥州道中の脇道にも類似した名称がある。…
※「本坂通」について言及している用語解説の一部を掲載しています。
出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」
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