上河原新田
かみがわらしんでん
[現在地名]島田市中河
北河原新田の北、大井川右岸に面した低平地に立地する。古くは北河原新田・井口村・岡田村と合せて君島と称したという(初倉村誌)。天正一七年(一五八九)七月七日の徳川家七ヵ条定書(久保田文書)は酒井与九郎重勝が奉じて「上河原百姓等」に宛てられている。文禄二年検地高目録に上川原村とみえ、高三〇五石余、掛川城主山内一豊領。当村も北河原新田と同様に寛永年中(一六二四―四四)の大井川水害で流失、寛文年中(一六六一―七三)芝間を再開発し、高一七石余の年貢を上納したが、再び流失したという(田代家文書)。元禄郷帳に上河原新田村とみえ、高一七石余。国立史料館本元禄郷帳では幕府領。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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