日本歴史地名大系 「上深井」の解説
上深井
かみふかい
承応三年(一六五四)深井村が上・下に分村したという(小県郡史)。上深井は中世を通じ、海野氏の一族、深井氏の本拠地で、その居館は現小字に堀ノ内があり、その東に前田、また堀ノ内の北東に若宮八幡があることなどから、堀ノ内付近だろうと推定される。また小字堂裏のおおみどう(大御堂)地籍には室町時代のものと推定される小型の石造五輪塔が畑の畔に数百基積み重ねてある。大御堂はみ堂と尊称し、大と冠していることなどから、由緒ある堂跡と考えられる。宝永三年(一七〇六)の深井村差出帳(上田藩村明細帳)に「一、高六一貫三六七文上深井村、一、人数二〇一人内九九人男、一〇二人女」とあり、安永九年(一七八〇)宗門帳には戸数三四戸、人数二〇一人(東深井区誌)と記している。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報