日本歴史地名大系 「上深川村」の解説 上深川村かみふかわむら 広島県:広島市安佐北区上深川村[現在地名]安佐北区高陽(こうよう)町上深川北を鬼(おに)ヶ城(じよう)山、南東を中(なか)山、南西を木の宗(きのむね)山(四一三・一メートル)に囲まれた谷あいの村で、三篠(みささ)川が東から西へ蛇行し、その支流小河原(おがわら)川が南へ分岐する。東は狩留家(かるが)村、西は中深川村、南は小河原村に接する。中世には深川上分に含まれていたと考えられる。慶長(一五九六―一六一五)頃と推定される厳島社社家内侍領等高辻覚(野坂文書)には「安北郡苻川村」とみえ、広域の深川郷のなかから「苻川村」が成立していたことがわかる。苻川村(深川村)が上中下に三分されるのは、元和五年(一六一九)の安芸国知行帳からで、この時の「上ふ川村」の村高は四五八石三升。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報