日本歴史地名大系 「上溝村」の解説 上溝村かみみぞむら 神奈川県:相模原市上溝村[現在地名]相模原市上溝・田名(たな)・上溝一―七丁目・横山台(よこやまだい)一―二丁目・横山(よこやま)一―六丁目・星が丘(ほしがおか)一―四丁目・千代田(ちよだ)一―七丁目・富士見(ふじみ)一丁目・同四―六丁目・相生(あいおい)三―四丁目・陽光台(ようこうだい)一―七丁目・光が丘(ひかりがおか)一―三丁目・緑が丘(みどりがおか)一―二丁目・並木(なみき)一―四丁目・弥栄(やえい)一―二丁目・青葉(あおば)一―二丁目・松が丘(まつがおか)一―二丁目・大野台(おおのだい)三丁目・中央(ちゆうおう)三―六丁目横山段丘が中央を西北から東南に連なり、西を並行して流れる姥(うば)川・鳩(はと)川沿いに田畑・集落がある。西は田名村、南は下溝(しもみぞ)村・当麻(たいま)村と接する。北東は相模野。「和名抄」高座(たかくら)郡美濃(みの)郷を当地辺りとする説もあるが不詳。永禄一二年(一五六九)武田信玄が小田原発向の途上「みそ」に陣を取ったという(甲陽軍鑑)。 上溝村うわみぞむら 秋田県:平鹿郡大森町上溝村[現在地名]大森町上溝雄物川支流の大納(だいな)川と八沢木(やさわぎ)川の河谷および谷口部に点在する集落。近世初期には東の大森村に包括されていたが、元禄期(一六八八―一七〇四)までに独立した。享保一四年(一七二九)の平鹿郡御黒印吟味覚書(秋田県庁蔵)に元禄郷帳に誤って新田と記したとあり、本田村であった。宝永二年(一七〇五)の高一千三九石余のうち二八二石余が新田高(「平鹿郡村々御黒印高帳」秋田県庁蔵)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報