日本歴史地名大系 「田名村」の解説
田名村
たなむら
- 神奈川県:相模原市
- 田名村
西北は
「和名抄」にみえる
当村の草分と称する江成家に伝わった天文一九年から天正一六年(一五八八)に至る北条家朱印状・同伝馬手形・同氏康朱印状(県史三)二一通があり、北条氏支配下の村況がわかる。天文一九年四月一日北条氏が実施した諸郷公事赦免により「田名郷百廿四貫七百九十一文、此役銭七貫四百八十六文」に定められたが、同二一年八月一〇日には六貫三二〇文に減額され、本段銭となった。弘治元年(一五五五)三分の一が増徴され八貫四二七文となった(天正九年八月一七日付の朱印状)。永禄五年(一五六二)九月二四日飢饉のため検見が実施され、段銭が四貫八〇〇文に減額されたが、翌年八月一日には検見を止め、段銭二貫四〇〇文を増徴、未進すれば牛馬を質に取るとされた。ところが七月二五日に大洪水があり(年代記配合抄)、同年と推定される亥九月九日付の朱印状によれば、
田名村
だなむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報