日本歴史地名大系 「上田布施村」の解説
上田布施村
かみたぶせむら
[現在地名]田布施町大字上田布施
中世は、
田布施
五十貫足ノ所領被
遣ル、世上ノ覚ヘ有難事也」とみえる。
田布施村の中世末より近世への変遷を「注進案」は「八ケ国の御時田布施・波野之内海にて寺家田と申処大潮満干有之、此所を唐戸の迫門と申候由然共惣而浅海にして干潟の地多く、依之天正十三年御当職佐世
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
中世は、
田布施
五十貫足ノ所領被
遣ル、世上ノ覚ヘ有難事也」とみえる。
田布施村の中世末より近世への変遷を「注進案」は「八ケ国の御時田布施・波野之内海にて寺家田と申処大潮満干有之、此所を唐戸の迫門と申候由然共惣而浅海にして干潟の地多く、依之天正十三年御当職佐世
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