上田藩一揆(読み)うえだはんいっき

日本大百科全書(ニッポニカ) 「上田藩一揆」の意味・わかりやすい解説

上田藩一揆
うえだはんいっき

信濃(しなの)国(長野県)上田藩5万3000石の領内には藩政期を通じて19件の百姓一揆(いっき)が起こっているが、なかでも有名なのは、1761年(宝暦11)の「上田藩宝暦(ほうれき)騒動」と、1869年(明治2)の「明治二年上田騒動」である。「宝暦騒動」は、検見(けみ)役人の尊大と重課ならびに金納相場の操作による増税、仲間(ちゅうげん)の徴発などに反対して起こったこの藩最初の全藩惣百姓(そうびゃくしょう)一揆で、一万数千人が参加。郡代家老岡部九郎兵衛の誠意ある対応によって成功を収め、藩政の改革をもたらした。処刑者2人の英雄的最期を描いている『上田騒動実記』および『上田縞崩格子(うえだじまくずれごうし)』などの騒動記がある。「明治二年上田騒動」は、偽金(にせがね)不通用を直接のきっかけとする生活難から小前(こまえ)農民が中心となって蜂起(ほうき)、上田城下町の商店87軒、在方(ざいかた)49か村269軒の大庄屋(おおじょうや)、庄屋、富商宅を打毀(うちこわ)した世直し大一揆であった。これが影響して隣接する松本藩領小諸(こもろ)藩領、松代(まつしろ)藩領にも一揆が起こり、北信濃一帯が世直しの渦に巻き込まれた。

[横山十四男]

『横山十四男著『上田藩農民騒動史』増補新版(1981・平林堂書店)』

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