上石原宿(読み)かみいしわらしゆく

日本歴史地名大系 「上石原宿」の解説

上石原宿
かみいしわらしゆく

[現在地名]調布市上石原一―三丁目・飛田給とびたきゆう二―三丁目・西町にしまち野水のみず一―二丁目・多摩川たまがわ一―二丁目・上石原、三鷹市大沢おおさわ二―三丁目

甲州道中の宿駅部は下石原宿の西に続き、村部は南は矢野口やのくち(現稲城市)、西は下染谷しもそめや(現府中市)など、北は小金井こがねい(現小金井市)、大沢村(現三鷹市)などに続いている。南方多摩川が南へ流れる。上石原の名は天正一五年(一五八七)七月晦日、小田原北条氏が豊臣政権との戦いに備えて相模・武蔵両国の郷村に発した朱印状の人改令のうちの一通(武州文書)にみえる。それは「上石原鈴木分」の小代官・百姓中宛で、文言は他の郷村宛のものと同様「御国御用」の際に召集される者を選んで、弓・鑓・鉄砲のうち一つを用意することなどを命じており、当地の場合選ぶべき人数は一人となっている。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の上石原宿の言及

【布田】より

…布田五宿は東から国領,下布田,上布田,下石原,上石原と家並みが連続して3km余に及んでいた。国領宿から内藤新宿まで3里32町(15km余),上石原宿から府中宿へは1里10町(5km余)である。五宿で一継ぎの宿駅であり,各宿が月に6日ずつ,日を決めて人馬継ぎを勤めた。…

※「上石原宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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