下石原宿(読み)しもいしわらしゆく

日本歴史地名大系 「下石原宿」の解説

下石原宿
しもいしわらしゆく

[現在地名]調布市下石原一―三丁目・西町にしまち富士見町ふじみちよう一―四丁目・多摩川たまがわ一―四丁目・小島町こじまちよう一丁目・下石原

小島分こじまぶん村の西にあり、北は持添の下飛田給しもとびたきゆう村と大沢おおさわ(現三鷹市)。東西に甲州道中が通り、南方多摩川が東流する。同川対岸は矢野口やのくち(現稲城市)。北条氏所領役帳に太田新六郎(康資)の同心龍崎文四郎の知行分として「六拾六貫六百廿八文 (江戸)下石原海老名分」がある。龍崎氏の出自は明らかでないが、所領役帳の「御家中衆」のうちの龍崎駒千代と同族であろう。海老名分とあるのは明らかでないが、もと当地には相模国高座こうざ海老名えびな郷を本拠とした海老名氏の所領があり、その跡が龍崎氏の知行となったとみられる。江戸時代下石原には太田道灌の弟資忠の子孫と称する旧家太田氏がおり、下石原宿の名主を勤め、旧品川道に接して一族の墓所の太田塚がある。またこの太田塚の南南東五〇〇メートルの府中崖線上付近では中世の居館跡が発見された。この館跡は奈良―平安時代初期の井戸を伴う集落跡とほぼ重複しており、中世の大溝・柵列・井戸などが検出されている。いっぽう太田塚の南西二〇〇メートル、居館跡の北西六〇〇メートルの地点から、常滑焼の甕に入った一万二七枚の銭貨が出土した。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

世界大百科事典(旧版)内の下石原宿の言及

【布田】より

…五宿で一継ぎの宿駅であり,各宿が月に6日ずつ,日を決めて人馬継ぎを勤めた。人馬継問屋は各宿と小島分村の6ヵ所にあったが,本陣,脇本陣はどこにもなく,旅籠屋は下石原宿にはなく,他の4宿に中・小合わせて9軒であった。【伊藤 好一】。…

※「下石原宿」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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