日本歴史地名大系 「上谷保村」の解説 上谷保村かみやぼむら 東京都:国立市上谷保村[現在地名]国立市谷保(やほ)・泉(いずみ)一―二丁目・富士見台(ふじみだい)一―四丁目・中(なか)一―三丁目・東(ひがし)一―四丁目・西(にし)一―三丁目・北(きた)一―三丁目多摩郡西部、東西に通る甲州道中沿いにある。西は青柳(あおやぎ)村、東は下谷保村、南は多摩川および四ッ谷(よつや)村(現府中市)、北(きた)は中藤(なかとう)新田・榎戸(えのきど)新田(現国分寺市)に接する。月日不詳の弘安二年(一二七九)度分の国庫納米員数注文(金沢文庫文書)によれば、弘安二年の国衙納入五升米(反米)の「谷保」の納入分が三石五升九合と記載される。これを換算すると当時の谷保郷の水田は七町余と推定される。なお当地は古くは分倍(ぶばい)庄栗原(くりはら)郷とよばれていたといい(風土記稿)、中央やや北寄りに栗原の地字が残る。天正一九年(一五九一)七月二一日の知行書立(国立市史)にみえる「屋ふ郷」三五四石余は当地のこととされる。田園簿には谷保村とあり、田三七二石余・畑四一三石余、幕府領。ほかに野村彦大夫代官所へ納める野銭永二貫一七五文。延宝六年(一六七八)の谷保村検地帳(佐伯家文書)によると高一千六四八石余、田畑屋敷の反別は三二三町六反余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by