上野山下町(読み)うえのやましたちよう

日本歴史地名大系 「上野山下町」の解説

上野山下町
うえのやましたちよう

[現在地名]台東区上野うえの七丁目

明治二年(一八六九)起立。江戸時代は東叡山寛永寺南麓にあった火除地で、俗に山下とよばれていた(文久二年改正尾張屋版切絵図)。沿革図書の元禄一〇年(一六九七)・同一一年の図に下谷二丁目に接して記される「山王下町東叡山領町屋」一帯にあたるか。同一一年九月この辺り一帯は勅額火事類焼。元文二年(一七三七)五月三日の火事下谷広小路池之端いけのはたから坂本さかもと金杉かなすぎ三之輪みのわの辺りまでが焼け、火災後正法しようほう院・御徒組屋敷、下谷町二丁目の一部などが上地されて火除地となった(文政町方書上など)

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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