上野教道(読み)ウエノ キョウドウ

20世紀日本人名事典 「上野教道」の解説

上野 教道
ウエノ キョウドウ

明治〜昭和期の尼僧,社会事業家



生年
安政2年1月3日(1855年)

没年
昭和7(1932)年6月19日

出生地
越中国下新川郡五箇荘(富山県下新川郡)

本名
上田 もと

主な受賞名〔年〕
日本赤十字社三等特志章,新潟県知事表彰〔昭和2年〕

経歴
7歳で父を亡くしたため仏門に入り、12歳で剃髪。明治5年無住であった下新川郡市振の普門庵に入って住職となり、上野教道を名乗った。以後熱心に慈悲行を実践し、十六羅漢や釈迦像を造って寺に安置、昭和2年には庵の伽藍を整備した。その傍らで社会奉仕にも取り組み、托鉢質素倹約とで蓄えた浄財を基に火災や飢饉の罹災民救恤に当たり、公共施設の建設・補修身寄りのない孤児の保護・養育などにも力を尽くした。また日本赤十字社や愛国婦人会にも率先して参加し、日本赤十字社から三等特志章や新潟県知事表彰を受けた。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

朝日日本歴史人物事典 「上野教道」の解説

上野教道

没年:昭和7.6.19(1932)
生年:安政2.1.3(1855.2.19)
明治・大正・昭和にわたる曹洞宗の尼。越中国下新川郡五箇荘(富山県五箇荘村)の農民上田宗五郎の娘。俗名もと。7歳で父を失い仏門に入り,12歳で尼となる。明治5(1872)年,同郡市振の普門庵を復興して住し,上野教道と改名。普門庵の伽藍を整え,本山への寄進を行い,また,上田家の家業を興し,一方で,飢饉や火災の罹災者食糧や金を与え,村の公共施設の建築・修繕にも寄付し,日本赤十字社や愛国婦人会などにもいち早く入会するなど,托鉢と質素倹約による浄財を元に,幅広い慈善活動,社会事業に尽力した。<参考文献>曹洞宗尼僧史編纂会編『曹洞宗尼僧史』,加藤太郎『博愛慈善家上野教道の事跡』

(熊本英人)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

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