朝日日本歴史人物事典 「上野景範」の解説
上野景範
生年:弘化1.12.1(1845.1.8)
明治前期の外交官。薩摩(鹿児島)藩の唐通事上野泰助,雪の長男。通称敬助。13歳で長崎に遊学,蘭学・英学を修める。文久3(1864)年12月,洋学研究のため上海へ密航するが,渡欧途上の幕府使節に見つかり帰国,翌年藩立開成所の英学句読師となり藩士たちの英学指導に当たる。維新後は外国事務局御用掛に任ぜられ,明治1(1868)年3月,わが国最初の造幣機械購入のため香港へ出張。2年,奴隷の扱いを受けていたハワイの出稼移民問題を解決,3年,特例弁務使として英国へ赴き,オリエンタルバンクと鉄道建設用外債募集契約に成功。外務少輔に昇任後の6年5月太政官正院へ提出した対朝鮮強硬意見書は,征韓論議の発端となった。その後駐英公使を経て,13年外務大輔に就任,外務卿井上馨の下で条約改正交渉に尽力。駐墺公使在任中に罹病,17年12月帰国,元老院議官転任後に死去。誠実廉直にして油絵を描くことを趣味とした。<参考文献>門田明他編「上野景範履歴」(『鹿児島県立短大研究年報』11号)
(犬塚孝明)
出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報