山勢松韻(読み)やませしょういん

日本大百科全書(ニッポニカ) 「山勢松韻」の意味・わかりやすい解説

山勢松韻
やませしょういん

山田流箏曲(そうきょく)家。

[平山けい子 2018年5月21日]

初世

(1845―1908)山田流山勢派3代目。江戸の人。本姓吉田、幼名千吉(せんきち)、前名山清勾当(こうとう)慶賀一。1880年(明治13)音楽取調掛(とりしらべがかり)に出仕、現在の東京芸術大学音楽学部邦楽科山田流箏曲科の基を開く。1888年、山登万和(やまとまんわ)(1853―1903)、山登松齢(しょうれい)(1844―1889)、2世山多喜松調(1845―1905)らと五線譜による初の楽譜集『箏曲集』(音楽取調掛撰(せん))を編集、箏曲の改良や五線譜化に尽くした。作品に『花の雲』『朧月(おぼろづき)』『都の春』『松島八景』『四季の友』『新年』など。門下から初世萩岡(はぎおか)松韻(1864―1936)、今井慶松(けいしょう)、佐藤美代勢らが出ている。

[平山けい子 2018年5月21日]

2世

(1916―2003)山田流山勢派5代目。1936年(昭和11)襲名。4代目山勢福養女で旧姓木原良子。初世萩岡松韻、今井慶松らに師事。2000年(平成12)家元を引退、山勢崇華(そうか)を名のった。

[平山けい子 2018年5月21日]

3世

(1932― )山田流山勢派6代目。2世松韻の妹で本名木原司都子(しづこ)。1968年(昭和43)東京芸術大学大学院修了。2000年(平成12)3世を襲名し、6代目家元となる。2001年重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。2013年文化功労者。

[平山けい子 2018年5月21日]

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新撰 芸能人物事典 明治~平成 「山勢松韻」の解説

山勢 松韻(5代目)
ヤマセ ショウイン


職業
箏曲家(山田流)

肩書
山勢派家元(5代目),松韻会主宰,お茶の水女子大学附属高校箏曲講師,三輪田学園箏曲講師

本名
木原 良子

別名
後名=山勢 崇華(ヤマセ ソウカ)

生年月日
大正5年 1月20日

出生地
東京都

学歴
三輪田高女〔昭和8年〕卒

経歴
母方の大伯父3代目山勢松韻の養女・ふくの養女。昭和11年今井慶松の立会いで山勢派5代目家元を継ぎ、5代目山勢松韻を襲名。平成12年家元を退き、崇華を名乗る。演奏収録レコードに金田一春彦監修、平野健次構成・解説「山田流箏曲―山勢松韻全集」がある。

所属団体
日本三曲協会(常任理事),山田流箏曲協会(副会長)

受賞
紫綬褒章〔昭和59年〕,勲四等宝冠章〔平成3年〕 芸術祭賞奨励賞〔昭和41年〕,芸術祭賞優秀賞〔昭和45年・50年・52年・55年・56年・57年〕,芸能功労者表彰〔昭和58年〕

没年月日
平成15年 11月5日 (2003年)

家族
養母=山勢 ふく(山勢派4代目家元),妹=山勢 松韻(6代目)(山勢派6代目家元)

親族
大伯父=山勢 松韻(3代目)


山勢 松韻(3代目)
ヤマセ ショウイン


職業
箏曲家(山田流)

肩書
山勢派家元(3代目),東京音楽学校教授

本名
吉田 専吉

別名
幼名=千吉,前名=慶専,都名(いちな)=慶賀一,別称=山勢検校(3代目)(ヤマセケンギョウ)

生年月日
弘化2年 7月28日

出生地
江戸・下谷仲徒士町(東京都 台東区)

経歴
3歳で失明。2代目山勢検校の門弟。慶応2年山清匂当となり、明治4年山勢匂当と改名。その後、職屋敷廃止のため山勢松韻と名乗る。13年文部省音楽取調掛(東京音楽学校の前身)に出仕、24年同校教授を兼務し、萩岡松韻、今井慶松ら多くの門弟を育成した。日本最初の洋式五線譜による「箏曲集」の編纂に力を尽くした。作曲に「都の春」「花の雲」「朧月」「松島八景」などがある。また二一絃筝の製作もした。

没年月日
明治41年 9月9日 (1908年)

家族
養女=山勢 ふく(山勢派4代目家元)

出典 日外アソシエーツ「新撰 芸能人物事典 明治~平成」(2010年刊)新撰 芸能人物事典 明治~平成について 情報

20世紀日本人名事典 「山勢松韻」の解説

山勢 松韻(2代目)
ヤマセ ショウイン

昭和・平成期の箏曲家(山田流) 山勢派家元(5代目);松韻会主宰;お茶の水女子大学附属高校箏曲講師;三輪田学園箏曲講師。



生年
大正5(1916)年1月20日

没年
平成15(2003)年11月5日

出生地
東京

本名
木原 良子

別名
後名=山勢 崇華(ヤマセ ソウカ)

学歴〔年〕
三輪田高女〔昭和8年〕卒

主な受賞名〔年〕
芸術祭賞奨励賞〔昭和41年〕,芸術祭賞優秀賞〔昭和45年・50年・52年・55年・56年・57年〕,芸能功労者表彰〔昭和58年〕,紫綬褒章〔昭和59年〕,勲四等宝冠章〔平成3年〕

経歴
母方の大伯父3代目山勢(初代松韻)の養女・ふくの養女。昭和11年今井慶松の立会いで山勢派5代目家元を継ぎ、2代目山勢松韻を襲名。平成12年家元を退き、崇華を名乗る。演奏収録レコードに金田一春彦監修、平野健次構成・解説「山田流箏曲―山勢松韻全集」がある。

出典 日外アソシエーツ「20世紀日本人名事典」(2004年刊)20世紀日本人名事典について 情報

百科事典マイペディア 「山勢松韻」の意味・わかりやすい解説

山勢松韻【やませしょういん】

山田流箏曲家の芸名。山田検校門下の初世山勢検校〔1791-1859〕に始まる山勢派の家元名。初世(3代家元)〔1845-1908〕は,本名吉田専(千)吉。江戸生れ。幼時に失明。2世山勢検校〔1812-1868〕に師事。山清勾当・山勢勾当から,明治初年に山勢松韻と改名。東京音楽学校教授。同校開校式に《都の春》を作曲。幕末から明治期の山田流箏曲の第一人者。その門から多くの名人を輩出。2世(5代)〔1916-2003〕は,4代目山勢ふくの養女。1936年2世を襲名。初世萩岡松韻,今井慶松らに師事。2000年家元を引退し,山勢崇華を名乗る。1984年紫綬褒章受章。3世(6代)〔1932-〕は,2000年3世を襲名。幼時から2世山勢松韻(実姉)に師事。1998年紫綬褒章受章,2001年人間国宝,2013年文化功労者。

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デジタル版 日本人名大辞典+Plus 「山勢松韻」の解説

山勢松韻(3代) やませ-しょういん

1932- 昭和後期-平成時代の筝曲(そうきょく)家。
昭和7年12月6日生まれ。幼少より姉の山田流山勢家5代,2代山勢松韻に師事。東京芸大で中能島欣一に,卒業後も清元を清元志寿太夫に,現代邦楽を杵屋正邦にまなぶ。海外公演をこなし,母校の客員教授をつとめた。平成12年山田流山勢家6代,3代山勢松韻をつぐ。13年人間国宝。14年芸術院賞。20年芸術院会員。25年文化功労者。東京出身。本名は木原司都子(しづこ)。

山勢松韻(初代) やませ-しょういん

1845-1908 幕末-明治時代の箏曲(そうきょく)家。
弘化(こうか)2年7月28日生まれ。山田流山勢家3代家元。2代山勢検校(けんぎょう)にまなび,山清勾当(こうとう),山勢勾当をへて松韻を名のる。文部省音楽取調掛,東京音楽学校(現東京芸大)教授をつとめた。明治41年9月9日死去。64歳。江戸出身。本名は吉田専(千)吉。名は慶賀一。作品に「都の春」。

山勢松韻(2代) やませ-しょういん

1916-2003 昭和-平成時代の箏曲(そうきょく)家。
大正5年1月20日生まれ。初代の養女山勢ふくの養女となる。初代萩岡松韻,今井慶松らにまなび,昭和11年山田流山勢家5代,2代山勢松韻をつぐ。平成12年家元をしりぞき崇華(そうか)を名のる。平成15年11月5日死去。87歳。東京出身。旧姓は木原。本名は良子。

出典 講談社デジタル版 日本人名大辞典+Plusについて 情報 | 凡例

ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典 「山勢松韻」の意味・わかりやすい解説

山勢松韻(1世)
やませしょういん[いっせい]

[生]弘化2(1845).7.28. 江戸
[没]1908.9.9. 東京
山田流箏曲家。山勢派の代数としては3世。都名 (いちな) 慶賀一。本姓吉田。前名山清勾当。2世山勢検校に師事,3世山勢襲名,のちに松韻と名のる。 1880年文部省音楽取調掛に出仕,その後,東京音楽学校となるに及んで,91年同校教授となり現在の東京芸術大学邦楽科の基礎をつくった。 1888年には邦楽最初の公刊五線譜『箏曲集』の校訂に参加。作品に『都の春』『朧月』『花の雲』がある。門下からは1世萩岡松韻,今井慶松らの名手が輩出。

山勢松韻(2世)
やませしょういん[にせい]

[生]1916.1.20. 東京
[没]2003.11.5.
山田流箏曲家。山勢派の代数としては 5世。1世山勢松韻の養女山勢福の養女。旧名木原良子。1世萩岡松韻,および今井慶松に師事。4世山勢の家元は山勢福が預っていたが,1936年襲名した。松韻会を主宰。2000年に妹の木原司郁子が 3世山勢松韻を襲名。

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朝日日本歴史人物事典 「山勢松韻」の解説

山勢松韻

没年:明治41.9.9(1908)
生年:弘化2.7.28(1845.8.30)
幕末明治期の山田流箏曲家。山勢派の3代目家元。本名は吉田専(千)吉。2,3歳で失明。明治13(1880)年文部省音楽取調掛に出仕,24年東京音楽学校(東京芸大)教授となる。その前年に,同校開校式のために「都の春」を作曲。そのほか「朧月」「花の雲」「四季の友」などの作品がある。また,多弦箏を開発。門下からは初代萩岡松韻,今井慶松などの名手を輩出。

(千葉優子)

出典 朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版朝日日本歴史人物事典について 情報

367日誕生日大事典 「山勢松韻」の解説

山勢 松韻(3代目) (やませ しょういん)

生年月日:1932年12月6日
昭和時代;平成時代の箏曲家(山田流)

出典 日外アソシエーツ「367日誕生日大事典」367日誕生日大事典について 情報

世界大百科事典(旧版)内の山勢松韻の言及

【山勢派】より

…2~3歳で失明,1851年(嘉永4)2世山勢の門に入り,慶専と称し,62年(文久2)当道座に入って慶賀一と名のる。66年(慶応2)に勾当(こうとう)に昇進,山清姓を名のり,71年(明治4)に山勢勾当と改めたが,たまたま当道座の制度が廃止され,検校には登官せず,山勢松韻と名のった。80年文部省音楽取調掛に出仕,90年東京音楽学校(現,東京芸術大学)の新築開校式に《都の春》を作曲。…

※「山勢松韻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

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