コトバンクはYahoo!辞書と技術提携しています。

山勢松韻 やませしょういん

3件 の用語解説(山勢松韻の意味・用語解説を検索)

百科事典マイペディアの解説

山勢松韻【やませしょういん】

山田流箏曲家の芸名。山田検校門下の初世山勢検校〔1791-1859〕に始まる山勢派の家元名。初世(3代家元)〔1845-1908〕は,本名吉田専(千)吉。江戸生れ。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. ご提供する『百科事典マイペディア』は2010年5月に編集・制作したものです

朝日日本歴史人物事典の解説

山勢松韻

没年:明治41.9.9(1908)
生年:弘化2.7.28(1845.8.30)
幕末明治期の山田流箏曲家。山勢派の3代目家元。本名は吉田専(千)吉。2,3歳で失明。明治13(1880)年文部省音楽取調掛に出仕,24年東京音楽学校(東京芸大)教授となる。その前年に,同校開校式のために「都の春」を作曲。そのほか「朧月」「花の雲」「四季の友」などの作品がある。また,多弦箏を開発。門下からは初代萩岡松韻,今井慶松などの名手を輩出。

(千葉優子)

出典|朝日日本歴史人物事典:(株)朝日新聞出版
それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

日本大百科全書(ニッポニカ)の解説

山勢松韻
やませしょういん

山田流箏曲(そうきょく)家。[平山けい子]

初世

(1845―1908)山田流山勢派3代目。江戸の人。本姓吉田、幼名千吉(せんきち)、前名山清勾当(こうとう)慶賀一。1880年(明治13)音楽取調掛(とりしらべがかり)に出仕、現在の東京芸術大学音楽学部邦楽科山田流箏曲科の基を開く。88年、山登万和(やまとまんわ)、山登松齢(しょうれい)、2世山多喜松調らと五線譜による初の楽譜集『箏曲集』(音楽取調掛撰(せん))を編集、箏曲の改良や五線譜化に尽くした。作品に『花の雲』『朧月(おぼろづき)』『都の春』『松島八景』『四季の友』『新年』など。門下から初世萩岡(はぎおか)松韻、今井慶松(けいしょう)、佐藤美代勢らが出ている。[平山けい子]

2世

(1916―2003)山田流山勢派5代目。1936年(昭和11)襲名。4代目山勢福の養女で旧姓木原良子。初世萩岡松韻、今井慶松らに師事。2000年(平成12)家元を引退、山勢崇華(そうか)を名のった。[平山けい子]

3世

(1932― )山田流山勢派6代目。2世松韻の妹で本名木原司都子(しづこ)。1968年(昭和43)東京芸術大学大学院修了。2000年(平成12)3世を襲名し、6代目家元となる。01年重要無形文化財保持者(人間国宝)の認定を受ける。[平山けい子]
「『山田流箏曲六代山勢松韻集』CD5枚組(2004・ビクター伝統文化振興財団)」

出典|小学館 日本大百科全書(ニッポニカ) この辞書の凡例を見る
(C)Shogakukan Inc.
それぞれの解説は執筆時点のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。

世界大百科事典内の山勢松韻の言及

【山勢派】より

…2~3歳で失明,1851年(嘉永4)2世山勢の門に入り,慶専と称し,62年(文久2)当道座に入って慶賀一と名のる。66年(慶応2)に勾当(こうとう)に昇進,山清姓を名のり,71年(明治4)に山勢勾当と改めたが,たまたま当道座の制度が廃止され,検校には登官せず,山勢松韻と名のった。80年文部省音楽取調掛に出仕,90年東京音楽学校(現,東京芸術大学)の新築開校式に《都の春》を作曲。…

※「山勢松韻」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社日立ソリューションズ・クリエイト
All Rights Reserved. Copyright (C) 2015, Hitachi Solutions Create,Ltd. 収録データは1998年10月に編集製作されたものです。それぞれの用語は執筆時点での最新のもので、常に最新の内容であることを保証するものではありません。また、本文中の図・表・イラストはご提供しておりません。

山勢松韻の関連キーワード今井慶松山田流岡康砧櫛田栄清白勢高実千代田検校山木検校(2代)山勢松韻(初代)山勢ふく

今日のキーワード

トランスアジア航空

台湾・台北市に本拠を置く航空会社。中国語名は復興航空。1951年、台湾初の民間航空会社として設立。83年に台湾の国産実業グループに経営移管され、組織改編を実施した。92年に国際チャーター便の運航を始め...

続きを読む

コトバンク for iPhone

山勢松韻の関連情報