日本歴史地名大系 「上鍛冶町・下鍛冶町」の解説 上鍛冶町・下鍛冶町かみかじまち・しもかじまち 秋田県:秋田市久保田城下上鍛冶町・下鍛冶町[現在地名]秋田市旭南(きよくなん)二丁目の一部羽州街道沿いの馬口労(ばくろう)町から酒田(さかた)町を経て北に大(おお)町三丁に通ずる位置に南から下、上と並ぶ。この道は当初大町から馬口労町へ通じていなかったようである。「梅津政景日記」寛永六年(一六二九)三月二六日条に「大町より馬口労町迄町すくに通り不申ニ付而、割直候得と被仰付候」旨、佐竹義宣が命じている。これに対し政景は「橋場(馬口労町橋)より鍛冶町迄罷出候小道をふさき、川ノ端鍛冶町ノ裏を上迄引通候様ニ仕度候、左候ハヽ給人之日用、町人の日用能」なる旨を進言し、承知された。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by