上駄床村(読み)かみだとこむら

日本歴史地名大系 「上駄床村」の解説

上駄床村
かみだとこむら

[現在地名]美和町大字上駄床

玖珂郡の北部東寄りに位置し、西は山代やましろ郷に属した萩藩領生見いきみ村、東は瀬戸内せとのうち村で、東西とも山を負う山間小村。寛永二〇年(一六四三)藤谷ふじたに村を分割し、駄床村となり、さらに寛文一二年(一六七二)上駄床・下駄床しもだとこ二村に分れた。岩国藩領。

駄床という地名は古く、「大永ノ記録」(「山代温故録」所収)に、藤谷畑に属する地域として「駄床・田の口その外畑々ともに」と出る。地名の由来について「玖珂郡志」は、出雲国から大神が駄荷馬を引いて神床の畠に来たので駄床と称するという伝承を記す。

慶安四年(一六五一)の「御領分村一紙」には駄床村として高四〇四石余とあるが、これは楮高を多く見積りすぎたらしい。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

中国のゴビ砂漠などの砂がジェット気流に乗って日本へ飛来したとみられる黄色の砂。西日本に多く,九州西岸では年間 10日ぐらい,東岸では2日ぐらい降る。大陸砂漠の砂嵐の盛んな春に多いが,まれに冬にも起る。...

黄砂の用語解説を読む