玖珂郡(読み)くがぐん

日本歴史地名大系 「玖珂郡」の解説

玖珂郡
くがぐん

面積:六七三・六二平方キロ
和木わき町・美和みわ町・本郷村ほんごうそんにしき町・美川みかわ町・周東しゆうとう町・玖珂くが町・由宇ゆう町・大畠おおばたけ

県東部にあり、東北は広島県、北は島根県に接し、旧郡内であった岩国市を馬蹄形に囲む。山代やましろと総称される北部は山地で、中国山脈西端の寂地じやくじ山地から南下する五〇〇メートル以下の周防山地が、東は広島県境の小瀬おぜ川から美和町・本郷村・錦町・美川町の全域と、周東町北部を覆う。これら山地から南流する小河川は、郡内中央をほぼ東流する錦川に注ぐ。玖珂郡北部の集落はこのような大小の河川がつくる小平地に点在する。

郡南部は高さ二〇〇メートル前後の周南しゆうなん丘陵地帯、東は銭壺ぜにつぼ断層崖となって広島湾に没し、南は柳井市の平地となる。北の周防山地との間には、かつて湖盆であった玖珂盆地が開け、島田しまた川が西流する。東の海岸は断層崖で概して単調ながら、小瀬川・錦川・通津つづ川・由宇川などの河口に沖積が進み、人工の干拓と相まって平地ができている。

〔原始・古代〕

旧石器時代の遺跡は見あたらず、縄文時代の遺跡もきわめて少ない。わずかに玖珂盆地から熊毛くまげ郡熊毛町八代やしろにかけ、数ヵ所の集落跡を認める。玖珂盆地には縄文初期には湖沼があり、西南岸の周東町用田ようだ地区に、狩猟と漁労を営む小集落のあったことを認める。弥生時代になると遺跡の数は増加する。中心は玖珂盆地で、玖珂町千束せんぞくには集落が群集し、周東町祖生そお、柳井市伊陸いかちにも文化圏が拡大、さらに遠く山代本郷にまで集落ができたらしい。しかし、この地方での文化の中心は、島田川の中流域からその西方に移っていたようである。初めは九州系の文化、のちに大和系の文化も入ったらしいが、青銅器などはほとんどみられない。

集落は島田川本流域を中心に、各支流域の山麓に拡大したが、その中心はしだいに下流域に移っていった。また錦川の流域各地にも集落が認められるようになった。当時、この地方を広く支配していたのは島田川流域を本拠とする周芳すおう国造の一族で、柳井市に残る茶臼山ちやうすやま古墳や、熊毛郡平生ひらお町の神花山じんがやま古墳などは国造一族のものとされている。当時の周芳国は、いまの山口県域でも有数の文化地帯であったと考えられる。周芳国造は応神天皇の時に、茨城(常陸)国造の同祖加米之意美をもって国造に定めたといわれ(国造本紀)、これは「古事記」によると川内(河内)国造・山代(山城)国造・木(紀伊)国造などとともに天津日子根命を同祖とする出雲臣の同族とみなされる。その子孫がこの地方に根を張り、周防凡直おおしのあたえ某と称するようになる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

防府市歴史用語集 「玖珂郡」の解説

玖珂郡

 岩国市から柳井市にかけての山口県東側を律令[りつりょう]時代には玖珂郡と呼んでいました。しかし、721年までは熊毛郡[くまげぐん]の一部でした。

出典 ほうふWeb歴史館防府市歴史用語集について 情報

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