下仁保村
しもにぼむら
[現在地名]山陽町下仁保
砂川の西側丘陵寄りにあり、西中村の北西に位置する。貞治三年(一三六四)二月三日の葛木氏子孫掟書(黄薇古簡集)に鳥取庄仁保方がみえ、「東は苅田山・軽部堺限」などと堺が記される。「看聞御記」応永二七年(一四二〇)九月二七日条によると、同庄のうち別納の仁保村が後小松院より前源宰相(信俊か)に与えられている(→鳥取庄)。また地名より、在地領主葛木氏の居館が当地にあったと推測されている。字片山に高山城跡があるが、上地山村にある葛木城の前衛陣地と考えられている。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報
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