下伏谷村(読み)しもふしだにむら

日本歴史地名大系 「下伏谷村」の解説

下伏谷村
しもふしだにむら

[現在地名]湯来町伏谷ふしだに

東郷とうごう山の西麓にあり、中央を伏谷川が北流して水内みのち川に合流する。周囲は山に囲まれ、川沿いの平地集落が展開する。上伏谷村に二ヵ所の飛地がある(「芸藩通志」所収絵図)佐伯郡の「国郡志下調郡辻書出帳」に「伏谷下村共書候由旧書有」とみえ、伏谷下村とも称した。寛政一一年(一七九九)の村方万附込覚帳(廿日市高校砂谷分校蔵)によれば、近世の下伏谷村は慶長六年(一六〇一)検地により高三一五石余の村として成立。広島藩家老堀田浅野家給知。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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