日本歴史地名大系 「下佐曾利村」の解説 下佐曾利村しもさそりむら 兵庫県:宝塚市下佐曾利村[現在地名]宝塚市下佐曾利川辺(かわべ)郡に属し、大原野(おおはらの)村の北に位置する。中世は上佐曾利村とともに佐曾利郷とよばれた。慶長国絵図では「上サカソリ村」「中サカソリ村」「サカソリ村」と記載されていて、自然集落は少なくとも三つに分れていたことが推測される。元和三年(一六一七)の摂津一国御改帳には「さそり村」とみえる。正保郷帳でも石高は一つだが「佐曾利村」「下佐曾利村」と記載され、二集落になっている。慶安三年(一六五〇)には下佐曾利村高揃帳(二井家文書)、承応三年(一六五四)には上佐曾利村名寄帳(同文書)が作られ、寛文二年(一六六二)には上下別々に石高が書上げられており(「増補御領地雑事記」森本家文書)、この頃には村切が完了していた。文禄四年(一五九五)頃から片桐且元領と思われ、元和元年頃幕府領となり(宝塚市史)、前掲摂津一国御改帳によれば幕府領摂津代官長谷川藤継預地。寛永四年(一六二七)摂津麻田藩領、寛文二年多田(ただ)銀山付村として幕府領に戻り(天保一〇年から高槻藩預地)、幕末に至る(宝塚市史)。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by