日本歴史地名大系 「上倉田村」の解説
上倉田村
かみくらだむら
東は
仁治元年(一二四〇)三月七日の北条泰時下文写(相州古文書)に山内新阿弥陀堂料所として「山内庄倉田郷」とある。文和三年(一三五四)六月二四日の将軍足利尊氏御教書写(県史三)によると「相模国山内岩瀬郷并倉田郷」に飯田七郎左衛門尉が多数を率いて討入り、合戦が行われたという。小田原衆所領役帳に吉原「弐拾貫文 倉田内ニ而被下」、富島「九拾四貫文 倉田之内」とある。
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報