日本歴史地名大系 「下八太村」の解説 下八太村しもはだむら 兵庫県:三原郡三原町下八太村[現在地名]三原町榎列下幡多(えなみしもはだ)新庄(しんじよ)村北の平地にあり、西端を円行寺(えんぎようじ)川が北流する。中(なか)街道が西方大榎並(おえなみ)村から入り、北東上八太村へ抜ける。正保国絵図に上八太・中八太・下八太の三村があり、下八太村の高は一二九石余。天保郷帳では高二七九石余。中八太村の高は正保国絵図・天保郷帳とも一〇三石余で、江戸時代後期には当村に含まれたとみられる。反別戸数取調書によると反別三五町四反余、高四二二石余、うち蔵入高六五石余・給知高一九〇石余。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by