下八太村(読み)しもはだむら

日本歴史地名大系 「下八太村」の解説

下八太村
しもはだむら

[現在地名]三原町榎列下幡多えなみしもはだ

新庄しんじよ村北の平地にあり、西端を円行寺えんぎようじ川が北流する。なか街道が西方大榎並おえなみ村から入り、北東上八太村へ抜ける。正保国絵図に上八太・中八太・下八太の三村があり、下八太村の高は一二九石余。天保郷帳では高二七九石余。中八太村の高は正保国絵図・天保郷帳とも一〇三石余で、江戸時代後期には当村に含まれたとみられる。反別戸数取調書によると反別三五町四反余、高四二二石余、うち蔵入高六五石余・給知高一九〇石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

二十四節気の一つ。元来,太陰太陽暦の 12月節 (12月前半) のことで,太陽の黄経が 285°に達した日 (太陽暦の1月5日か6日) に始り大寒 (1月 20日か 21日) の前日までの約 15日間...

小寒の用語解説を読む