日本歴史地名大系 「下刑部村」の解説 下刑部村しもおさかべむら 静岡県:引佐郡細江町下刑部村[現在地名]細江町中川(なかがわ)都田(みやこだ)川の南岸に位置し、北は上刑部村・中刑部村。新田(しんでん)と新屋(あらや)の二集落からなる。本坂通は当村から都田川を船で渡って気賀(けが)村に達する。中世には刑部御厨(のち刑部郷)に含まれ、刑部村からの分村の経緯は上刑部村と同じ。陣座(じんざ)ヶ谷(や)の地名は三方原合戦時の武田信玄の陣座に由来するといわれ、新屋の要害の地に今川方の刑部城があった。正保郷帳に村名がみえ、田方一千一二三石余・畑方二一一石余、浜松藩領、ほかに金山(かなやま)(金山権現などとも記される)領四石・吸江庵(現廃寺)領一石余がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by