下合瀬山村(読み)しもおうせやまむら

日本歴史地名大系 「下合瀬山村」の解説

下合瀬山村
しもおうせやまむら

[現在地名]富士町大字下合瀬

北山ほくざんダムの北にあり、一部はダムの湖底に沈んだ。下合瀬では縄文時代の土器片・石器が発見されているが、その後史料に乏しく、中世末に神代くましろ氏の山内さんない支配をめぐって結束するが、藩政期に入ると小城おぎ藩領となる。慶長絵図には「合瀬山」とあって上・下の区別はない。正保絵図にある落合村(高二四石二斗九升三合)は下合瀬山村の枝村である。

氏神かがみ神社は息長足媛命を祭神として、弘治年間(一五五五―五八)に合瀬伊賀守の祖が勧請し合瀬神社と称していたのを、天明五年(一七八五)に鏡神社と改めたと伝えられる。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

4月1日の午前中に、罪のないうそをついて人をかついでも許されるという風習。また、4月1日のこと。あるいは、かつがれた人のこと。四月ばか。万愚節。《季 春》[補説]西洋もしくはインドに始まる風習で、日本...

エープリルフールの用語解説を読む