下吉川村(読み)しもよしかわむら

日本歴史地名大系 「下吉川村」の解説

下吉川村
しもよしかわむら

[現在地名]婦中町下吉川

井田(いだ)川と山田(やまだ)川の合流点のやや上流、牛(うし)ヶ首(くび)用水の南に位置し、北は小川子(こがわこ)村、南西は上吉川村。井田川の恩恵によって開けたので同川を「よいかわ」と称し、しだいに村名となり「よしかわ」になったと伝える。以前は吉川村一村であったが、井田川の氾濫により分離し、南方上流を上吉川村、北方下流を下吉川村と称するようになった。なお享和三年(一八〇三)の仮名付帳(加越能文庫)によれば、上吉川村は下吉川村の枝村とされる。

康正二年(一四五六)の「造内裏段銭并国役引付」に「四貫文 三条八幡宮領 越中国御服之庄吉川之段銭」とあって、御服(ごふく)庄内の村落である。貞治六年(一三六七)九月二七日足利義詮はその館の一角に設けられた将軍家の鎮守三条坊門八幡宮(御所八幡宮、現京都市中京区)別当職に将軍家の信任厚い山城醍醐寺三宝(さんぼう)院光済を任じ、その神楽および大般若経転読の料所として猪俣一族跡の「越中国吉河西東」を寄進している(「足利義詮寄進状」三宝院文書)。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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