日本歴史地名大系 「下国府塚村」の解説 下国府塚村しもこうづかむら 栃木県:小山市下国府塚村[現在地名]小山市下国府塚上国府塚村の南にあり、東は下石塚(しもいしづか)村・萩島(はぎしま)村、南に石(いし)ノ上(うえ)村。下幸塚村とも書く。天正一二年(一五八四)一〇月一三日の結城晴朝禁制写(下総古文書類)によれば、晴朝は石ノ上の半手が中久喜(なかぐき)城へ入る際、夜盗・朝駆けなどを禁じ、さらに「下国府塚」においても同じく禁じている。慶長年間(一五九六―一六一五)小山藩領となる。同八年の田地わけ証文(岸ウタ文書)では当村の一〇人の百姓が耕地を分け預けられており、小農民がやがてこの耕地の所有権を得て自立していく初期の過程がみられる。同一八年の検地帳(同文書)によれば高八四七石余、田八四町四反余・畑屋敷一七町六反余、名請人九一人で分付百姓は七四人、屋敷持三五人となっている。元和五年(一六一九)下総古河藩領となり、同九年の地詰帳(同文書)では田八四町二反余・畑屋敷一七町一反余と減少し、名請人六四人・屋敷持四一人、分付百姓二二人。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by