下堂本村(読み)しもどうもとむら

日本歴史地名大系 「下堂本村」の解説

下堂本村
しもどうもとむら

[現在地名]龍野市龍野町堂本

上堂本村の南に位置し、揖東いつとう郡に属する。西は揖西いつさい四箇よつか村。天正九年(一五八一)三月一八日の羽柴秀吉知行方目録(浅野家文書)に堂本村とあるが、文禄四年(一五九五)五月吉日の揖保川井堰絵図(岩見井組文書)では小宅おやけ井の末流に下堂本とみえ、慶長六年(一六〇一)の小宅庄之内上堂本村検地帳(前田家文書)が残るので、この頃上・下に分村した。慶長国絵図にも下堂本とみえる。江戸時代の領主変遷北龍野村と同じ。寛永一三年(一六三六)の龍野領村々高辻帳(八瀬家文書)に村名がみえ、池田輝政による内検地高一三〇石余、高一〇七石余、ほかに下堂本村出屋敷が記載される。正保郷帳では田方一〇二石余・畑方五石余。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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