日本歴史地名大系 「北方村」の解説
北方村
きたかたむら
五ヶ瀬川中流域に位置し、東は
北方村
きたがたむら
現北方町の北寄りに位置し、
関ヶ原の合戦後は奥平信昌(加納藩)領。近世初期には円鏡寺の門前町を形成しており、在郷町として発展した。慶長郷帳に村名がみえ、高一千六九〇石余。寛永元年(一六二四)の高帳(加納町史)では、北方町八四〇石余、北方地下八五〇石余と二分している。同一二年の内検により枝村
北方村
きたがたむら
- 石川県:珠洲市
- 北方村
北方村
きたかたむら
近世には栗原郡に属し、東は
「安永風土記」によれば、田五一三貫六六九文・畑八〇貫三四九文(うち茶畑一一七文)で、典型的な水田単作地帯であった。高のうち蔵入は三〇五貫六四文、給所は二八八貫九五四文、低地の新田開発が村高を増加させ、大部分が蔵入地に編入されたためである。
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
北方村
きたかたむら
- 宮崎県:串間市
- 北方村
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
- 長野県:飯田市
- 北方村
現飯田市の中央部にあり、
「北方」の文献上の初見は、天正六年(一五七八)の上諏訪造宮帳(諏訪大社上社蔵)で、「北方郷」は前宮一之御柱造宮銭として二貫文の所役を課されている。翌年の記事に、「北洞之郷北方」三貫文とあるのも当村にあたるものと考えられる。
北方村
ぼつけむら
北方村
きたかたむら
- 宮崎県:宮崎市
- 北方村
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
守恒村の北、
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
- 茨城県:龍ケ崎市
- 北方村
利根川左岸の下総台地末端にあり、西は
「利根川図志」に、永禄三年(一五六〇)の豊島頼継のこととして「今
北方村
きたかたむら
北方村
きたかたむら
- 静岡県:藤枝市
- 北方村
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
北方村
きたがたむら
- 愛知県:一宮市
- 北方村
木曾川左岸にあり、村内を岐阜街道が通り、初期の渡船場が当村にあった。東は
北方村
きたがたむら
北方村
きたかたむら
出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報