下多良村(読み)しもたらむら

日本歴史地名大系 「下多良村」の解説

下多良村
しもたらむら

[現在地名]米原町下多良

中世に多良とよばれた地域の南部、現在は干拓された入江いりえ内湖に面し、北に中多良村・上多良村と続く。元亀三年(一五七二)三月一七日の浅井長政宛行状(島記録)に「河井事下タラ也」とみえ、「輿地志略」は初め竹林たけばやしと称したと記す。また湖岸に位置することから多良浜たらはま村とも称した(坂田郡志)。慶長高辻帳に村名がみえ高五六五石余、うち小物成四斗。江戸時代を通じて彦根藩領。番場ばんば宿の助郷役を勤めた(坂田郡志)。元禄八年大洞弁天寄進帳によると人数二九二、うち寺社方一一。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

菊の節供,九月節供,重九 (ちょうく) ともいう。五節供の一つ。旧暦9月9日の節供で,奈良時代より,宮中では天皇が紫宸殿に出御し,群臣に宴を賜わり詩歌文章をつくらせる菊花の宴が行われ,年中行事となった...

重陽の用語解説を読む