日本歴史地名大系 「下山口新田」の解説 下山口新田しもやまぐちしんでん 埼玉県:浦和市下山口新田[現在地名]浦和市下山口新田間宮(まみや)村および行衛北原(ぎよえきたはら)村新田(現川口市)の西に位置し、西は大間木(おおまぎ)村新田。見沼代用水(東縁)と芝(しば)川が流れ、八丁(はつちよう)堤がある。見沼新田の内で、享保一三年(一七二八)江戸小田原(おだわら)町の鯉屋藤左衛門が開発した村で、鯉屋の姓山口氏の名をとり新田名となった(風土記稿)。天保郷帳に村名がみえる。開発以来幕府領。見沼領に属し、化政期の家数一六。鎮守は稲荷社(風土記稿)。天保一二年(一八四一)の村明細帳(大熊家文書)によると高一六八石余、検地は享保一六年に行われ、その後安永四年(一七七五)・寛政元年(一七八九)・同六年にも行われている。天保一二年の家数二二・人数九三で、作物は田では黒髭・せんたい・やろこなど、畑では麦・稗・大豆・小豆・里芋などを作った。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by