下手村(読み)しもでむら

日本歴史地名大系 「下手村」の解説

下手村
しもでむら

[現在地名]答院町下手

藺牟田いむた郷藺牟田村の北にあり、南西流する久富木くぶき川と南流するその支流瀬早せはや川流域に広がる。東は大村おおむら郷上手村、西は宮之城みやのじよう船木ふなき村と山崎やまさき郷久富木村(ともに現宮之城町)、北は佐志さし田原たばる村・広瀬ひろせ(現同上)大村郷の麓村で、古くは上手村とともに大村一村であったが、一七世紀半ばから一八世紀初頭の頃に分村して下手村となった(三州御治世要覧)。だが天保郷帳など幕府差出の郷帳類では一貫して大村一村として扱われた。文禄四年(一五九五)北郷長千代丸(忠能)領となり(北郷氏系図)、慶長五年(一六〇〇)北郷氏が旧領日向国都城に復すると島津氏直轄領となり、同一九年から寛永一一年(一六三四)までは日置島津氏領となったとされる答院町史)


下手村
しもでむら

[現在地名]菱刈町下手

荒田あらた村の北、川内せんだい川北岸にあり、西端で蛇行しながら南西流してきた羽月はつき川が川内川に合流する。菱刈郡本城ほんじよう郷に属し、東は馬越まこし前目まえめ村、西は薩摩国羽月郷堂崎どうざき(現大口市)、北は大口郷花北はなきた村。寛文四年(一六六四)の郡村高辻帳では下手村は高九一三石余と六八八石余の二筆が記され、元禄国絵図では下手村は九一三石余と六四九石余の二筆。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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