答院町(読み)けどういんちよう

日本歴史地名大系 「答院町」の解説

答院町
けどういんちよう

面積:八二・二八平方キロ

薩摩郡東部に位置し、東を姶良(あいら)郡姶良町、その南を矢止(やどめ)岳から千貫(せんがん)岳に延びる連峰稜線を境にして同郡蒲生(かもう)町、西は宮之城(みやのじよう)町、南西部から南を山王(さんのう)岳や舟見(ふねみ)岳ほか藺牟田(いむた)池外輪の山々などを境に入来(いりき)町、北を丘陵を隔てて薩摩町・宮之城町に接する。四方を山岳や丘陵に囲まれ、町域の大半を山林や原野が占める。中央部を北流する久富木(くぶき)川は西流してきた秋上(あきあげ)川を合せたのち流れを西へ転じ、瀬早(せばや)川などを合せながら南西流して宮之城町に入る。

発掘調査の機会のほとんどなかった当地域では、従来三遺跡と一一の山城が知られていたが、平成六年(一九九四)の分布調査で複合遺跡を含む計一一の遺跡の存在が判明した。内訳は縄文時代が四遺跡、古墳時代が九遺跡、古代から中世が二遺跡で、大字上手(かみで)にある中世の辻の園(つじのその)遺跡からは中国宋代の湖州八花鏡一面が出土している。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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