麓集落(読み)ふもとしゅうらく

改訂新版 世界大百科事典 「麓集落」の意味・わかりやすい解説

麓集落 (ふもとしゅうらく)

近世薩摩藩領域内に分布する在郷武士団の居住集落で,軍事的・行政的機能を有する。府下あるいは府本とも書く。藩内では鹿児島城下に居住する城下士のほかに,領域内の100余から110前後の各地に外城(とじよう)を置き,外城衆中(しゆうじゆう)と呼ぶ郷士を配置して藩領の防衛を担当させ,支配層として定着させた。麓集落は藩領内の地方行政の中心であったので,例えば都城みやこのじよう),国分加治木出水(いずみ)などの大きなものは小藩の城下町にも相当する程度の規模を有した。小規模のものは臨戦態勢の士族屋敷と馬場を有する程度で,屋敷には石垣,生垣が造成されており,立地的には火山灰台地の先端部に建設されている。一般的に麓集落はT字形道路や遠見遮断構造の道路を備え,軍事的機能が濃厚であったが,幕藩体制が確立し,また藩行政機構の基礎も固定化してくると,行政的機能が卓越するようになり,支配機構に重点が移行した。このほかに村落・宗教統制,租税徴収や租米の保管,関所統制,港湾鉱山などの管理なども管轄した。この集落の人口規模は100~600程度で住民は士族(郷士)出身の者が多い。明治以降も,麓集落の約8割に町村役場が置かれ,地方都市に発展したものもある。
執筆者:

出典 株式会社平凡社「改訂新版 世界大百科事典」改訂新版 世界大百科事典について 情報

日本大百科全書(ニッポニカ) 「麓集落」の意味・わかりやすい解説

麓集落
ふもとしゅうらく

近世薩摩(さつま)藩における半士半農の在郷武士団の居住地。島津氏は、外城(とじょう)制度により藩内を113の区画(外城)に分け、それぞれ郷士(ごうし)(外城衆中(しゅうじゅう))を配置し、鹿児島本城の防衛と地方行政にあたらせた。麓(府本)とはこれら各外城の軍事・行政を管轄する地頭(じとう)仮屋の所在地であり、郷士の集住地である。白砂(しらす)台地の突端など高燥な土地に設けられ、郷士の屋敷は石垣や生け垣で囲まれ、とくに高級郷士は豪華な門を構え、近くに農民町人が住んだ。城山と馬場や射場があり、街路も計画的に格子(こうし)状や鉤(かぎ)状のものがあるが、不規則のものが多い。1784年(天明4)に外城を郷と改称し、従来の外城衆中も郷士と称するようになった。一般に、交通の要衝となり、戸口規模も100戸から600戸程度のものが多く、出水(いずみ)(鹿児島県出水市)、都城(みやこのじょう)(宮崎県都城市)などは数千戸からなり、明治以後、市町村の政治、文化、経済の中心として地方都市に発展したものもあった。

[中田榮一]

出典 小学館 日本大百科全書(ニッポニカ)日本大百科全書(ニッポニカ)について 情報 | 凡例

世界大百科事典(旧版)内の麓集落の言及

【豪族屋敷村】より

…その後,近世になると防御的機能の必要性は少なくなり,近世農村に包含され,その豪族屋敷主は有力な百姓として肝煎(きもいり)や庄屋を務め,明治以降も村長となって継承した場合もある。豪族屋敷村に類似するものとしては旧薩摩の麓(ふもと)集落があげられる。これは近世薩摩藩の在郷武士団の居住集落で,軍事的・行政的機能を有する。…

【外城制度】より

…薩摩藩は藩主居城の鶴丸(鹿児島)城のほかに,領内を113の区画に割って,これを外城(普通には郷という)と呼んでいた。4人に1人は武士という過大人口の武士を扶持するために屯田兵制度をとったのであり,1615年(元和1)の一国一城令があるから,外城といっても城郭があるわけではなく,旧城跡の山麓かまたは城跡と無関係の平地に麓集落をつくっていた。しかし戦時には郷士は地頭指揮下に1軍団を形成したから,外城と呼んだのである。…

※「麓集落」について言及している用語解説の一部を掲載しています。

出典|株式会社平凡社「世界大百科事典(旧版)」

今日のキーワード

プラチナキャリア

年齢を問わず、多様なキャリア形成で活躍する働き方。企業には専門人材の育成支援やリスキリング(学び直し)の機会提供、女性活躍推進や従業員と役員の接点拡大などが求められる。人材の確保につながり、従業員を...

プラチナキャリアの用語解説を読む

コトバンク for iPhone

コトバンク for Android