日本歴史地名大系 「下押野村」の解説 下押野村しもおしのむら 長野県:東筑摩郡明科町下押野村[現在地名]明科町下押野松本藩領安曇(あずみ)郡池田(いけだ)組の一村。高瀬(たかせ)川が犀(さい)川に合流する地点に岬状に突き出た丘陵の先端に位置し、北は塩川原(しおがわら)村、西は上押野村に接する。古記録によると、田花見(たげみ)と称したとも思われる。天正検地の頃は押野村一村であったが、慶長の検地では下押野村と上押野村に高分れした。享保九年(一七二四)の「信府統記」では押野村として一括されている(→上押野村)。同書に「八幡宮 舞殿三間・二間 鳥居アリ、天王宮 鳥居アリ、戸隠・天句・愛宕山・権現 当六社縁起来由知レス」とある。八幡宮は村内西にある。また「延喜式」神名帳に記載の川合神社であるとの説がある。 出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報 Sponserd by