川合神社(読み)かわいじんじや

日本歴史地名大系 「川合神社」の解説

川合神社
かわいじんじや

[現在地名]黒川村熱田坂 落合

胎内たいない川と鹿また川の合流点に鎮座する。風倉かざくら三峰みみねに鎮座する三峰神社の遥拝所。「延喜式」神名帳の沼垂ぬたり郡五座のうちの「川合カハアヒノ神社」に比定される。縁起書(片野快耀氏蔵)によれば、役行者により勧請されたと伝え、初めは熊野久須毘神、延暦年中(七八二―八〇六)には熱田明神が祀られ、のち多奇波世神・瑞津姫神が合祀されたという。現在の祭神は熊野加夫呂岐櫛御気野神・多奇波世神・瑞津姫神。近世までは「躰名之神社熊野山之大権現」とみえ(享保二年「奉加簿」高橋仁左衛門家蔵)、地元でも「熊野様」などとよぶ。


川合神社
かわいじんじや

[現在地名]川口町川口

現在は町中にあるが、かつては魚野うおの川と信濃川の合流する断崖上にあった。祭神は水波売命・武甕槌命。「延喜式」神名帳の魚沼郡五座のうちに「川合カハアヒノ神社」とある。明治二年(一八六九)の由緒書(町史編さん室蔵)に「延喜式内 川合神社泥障大明神、雄略天皇三十一年当村地内信越の両川落合川岸上御鎮座、是則草創」とある。泥障あおり大明神の神号は、源義家が奥州発向の途上、当社に参拝して泥障(馬具)を献上したという伝説による。

出典 平凡社「日本歴史地名大系」日本歴史地名大系について 情報

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